電球換えたついでに始めたブログ

面倒くさがりな僕が1年ぶりに電球を替えたついでに始めたブログ。

電球#236 書きたいこともない夜に

どうも、僕です。

 

タイトルにもある通り

書きたいこともないのに机に向かて

キーボードを叩いています。

 

猛威を振るうコロナは

未だ収まる気配がなく、

僕たちは外出を自粛して

今日もお部屋にこもっている。

 

毎日変わらぬ景色、変わらぬ一日、

楽しみは食事と朝の散歩。

刑務所みたいだね。

 

この自粛期間はある意味

夏休みよりも質が悪い。

人間が心から腐るには十分すぎる環境だと思う。

夏休みはまだいい。

何か作業を作って

それを外に持って出て、

一日それに取り組み、

家に帰って飯を食って寝る

そうして満足して一日を終えられる。

 

ただ、この自粛期間はどうだろうか。

 

僕のような堕落した

留年人間にとっては最悪の期間だ。

この期間は家にいないといけない。

 

何が悪いかって?

My家だよ。

 

なぜなら、

誘惑が多すぎる。

僕にとっての家は休む場所だ。

 

決して作業する場所には

なりえない。

 

大学の先生は今のうちに

院試の勉強をしろという。

めちゃくちゃごもっとも。

おっしゃっていることは大いにわかる

でも、無理だ。

家から出られない。

家は休む場所以上の環境になりえない。

本とゲームと映画を僕から遠ざければ

作業も勉強もできる。

でも、家には本とゲームと

ゆっくり映画を楽しめるクッションしかない。

 

そして四六時中それらに触れていても

誰も文句を言わない。

 

僕としても困った。

院試に集中したいと言って

バイトをやめている。

それらの勉強に身が入っていない

今のままでは、恥ずかしくて

関係者に顔向けができない。

 

さて困った。

このまま勉強せずに過ごせば、

院試の結果は散々なものとなり

研究室の先生はもちろん知り合いにも

怒られるだろう。

困ったとは、怒られることではない。

『怒られるからやらないといけない』は

僕のモチベーションからは一番遠いものの

一つなのだ。

あぁ困った。

 

おそらくここで僕が嘆いていても

何も変わらないのだろう。

 

コロナの影響で世界は形を変えてきている。

おそらくもう元には戻れないくらいに。

 

働き方はリモートが推奨され、

飲み会は自粛、

イベントは中止

とにかく集まってはいけないようだ。

先週飲み屋に行ったときは客が僕たちだけで

恥知らずのような感情になった。

 

ディズニーを筆頭にレジャー施設は

休園を継続しているし、

動物園や水族館、博物館も

休館を決定している。

ドイツのある動物園では休園で

動物たちの飼育が経済的に困難になり、

近くの動物園の動物を殺処分して、

餌としてしまうかもしれない状況に

なっている。

 

映画館でも観客が激減しているらしく、

その在り方を

決定的に変えざるを得ない時が来ている。

ちなみに徳島の映画館で働く知り合いに

聞いたんだがこの状況で映画館来場者数が

1位の県は徳島だそうだ。

危機意識が足りないよね。

巷ではミニシアターを救うために

署名活動や寄付活動が行われているらしい。

映画が…映画館が好きな僕としては

映画館は消えないでほしい。

何といっても徳島では2劇場しかないのだ。

消えないでくれ、頼む。

 

飲食店は気軽に入れる場所ではなくなり、

人が触れた商品も避けるようになる。

配達物はまず消毒するし、

カフェにも気軽にはいけない。

 

社会は形を変えざるを得なくなっている。

 

アナログでできていたことは、

これからデジタルに変わることに

なるだろうけど、まだまだ時間がかかる。

このまえオンラインで飲み会をしたんですが、

デジタルはまだまだ冷たすぎる。

人と人とが集まることで生まれる熱を

デジタルがどのように生み出すのか、

一つの課題なんじゃないかなと。

 

社会が形を変えざるを得ない状況。

僕も変わらないといけないということですね。

 

僕は、僕自身が到底社会に受け入れられるような

人間だとは全く思っていないので、

変わらないといけないとたびたび感じています。

 

社会に当てはまれるように

おとなしく形を変えて

型にハマれる様になるまで、

僕は変わらないといけないと書き続けると思う。

 

この外出自粛期間に

あなたは何が変わりましたか?

 

では。