電球換えたついでに始めたブログ

面倒くさがりな僕が1年ぶりに電球を替えたついでに始めたブログ。

電球#234 大学4年生になりました。

どうも、僕です。

 

普通に書くブログは

もの凄く久しぶりな気がする。

 

四月になって

新学期が始まろうとしていますね。

コロナでどうなるかはわからないですが、

僕の大学は5月の11日までは、

対面での授業が無くなりましたね。

頑張ってオンラインでやるみたいです。

 

さてさて、

タイトルにも書きましたが

晴れて大学4年生になりました。

 

去年の秋ごろ

大学3年生の後期課程が始まる時

「半年は頑張って勉強しよう」

と思って勉強したんですよね。

割とダメ元だったんですけど。

 

自分でも驚くくらい

スムーズに

重要単位を回収できて

気づいたら4年生でしたね。

 

心のどこかで

今年もまた留年するんだろうな

って思ってたので驚きですね。

 

4年になる準備ができて無かったので

進級が決まって研究室が決まって

めちゃくちゃ驚いている自分がいる。

 

配属先の研究室も決まったので

先日研究室の先生に挨拶に行ったんですよ。

 

困難を乗り越えて4年生になれた僕ですが、

4年生の中では2軍みたいな評価での

進級なんですよね。

 

他のコースでは聞かないんですけど、

機械科学コースは4年への進級への際に

残っている単位数をもとに

1軍か2軍かで分けられるんですよ。

A進とB進って言うんですけどね。

 

僕は単位を割と残しているので

2軍なのですが、研究室は2軍の人間には

厳しいみたいですね。

 

先生への挨拶で、

「2軍でしょ?卒業できるように勉強してね?」

って話を20分くらいしましたね。

研究の話0でしたね。

期待されてねぇ。。。

 

ただ、塩対応されるのに慣れている自分もいて、

評価が最底辺なら逆に伸び伸びと

好きなようにしていこうかなと思います。

 

眠いから寝よう。

 

では。

11本目:グレイテストショーマン

どうも、僕です。

 

今日はいつもみたいに

詩的な表現で始まらないのかって?

 

気分じゃないんだよ。

朝だしね。

 

1年間に300本映画を見て

その感想を書こうと思って始めたこの企画

今回で11回目ですね。

 

4月の時点で11本。

あきらめムードが濃厚に漂いますね。

自宅にいることが多いので頑張って書こうかな。

このままじゃ週刊連載って

名前を変えてしまおうかしら

 

今回はこの映画、

『グレイテストショーマン』

日本での公開は今から2年前ですね。

 

なんで2年前の映画を今紹介するのか。

それは、

単にこれが僕の映画に対する意識を変えた

意味のある一本だからですね。

 

NetflixにもAmazonprimeにも配信されていない

映画なので、見たい方はレンタルするか

映画館まで行ってください。

 

「あれ?、今2年前の映画って言うたやん!」

っていう勘の鋭い方。

その通り、これ2年前の映画なんですけど

今なぜか映画館でやっているんですよ。

 

おそらくコロナの影響で新作映画が、

続々と延期になり、上映する映画が無くて

困ったんでしょうね。

その結果、過去にヒットした映画を

再開上映しているみたいです。

 

僕の第二の家、イオンシネマ徳島では

3月27日から4月9日まで

『グレイテストショーマン』

4月10日から4月23日まで

ボヘミアンラプソディ』

が上映されるみたいですよ。

見逃している方はぜひ見に行ってね。

 

今でも思い出しますが、

このグレイテストショーンマンは友達に

誘われたことを覚えています。

公開の半年前くらいに。

はやすぎん?

 

その友人は当時ヒュージャックマンが

好きで、『ウルヴァリン』とかも

一緒に見に行きましたね。

 

その友人と見たい映画の話をしていた時に

「『グレイテストショーマン』見に行こうぜ!

なんかミュージカルらしい。」

って言われましたね。

 

「ん?ミュージカル映画?守備範囲外やわ」

ラ・ラ・ランドのチームが作るらしいで」

と言われ、仕方なくラ・ラ・ランドを視聴。

 

なんだこれ、面白くねぇ。

 

ラ・ラ・ランドは僕には刺さらなかったんですよね。

終始退屈で途中から何も覚えていない…

 

デッドプールに似た俳優がスパイダーマン

恋人と踊っている印象しかねぇ。

 

そんな感じでグレイテストショーマンには

後ろ向きな気持ちでしたね。

 

そうこうしているうちに海外で公開され、

日本語版の予告編もぼちぼち出始めました。

 

予告編を見た僕

クッソ刺さった。

 

ラ・ラ・ランドのような平凡な日常を拡大して

ミュージカルにするのではなくて、

一つの完成したショーを等身大のミュージカルにして

カメラに収めて最大化したような迫力に魅了されましたね。

さらに音楽がひたすら良い。

すべての曲が大好きですね。

 

世の中は便利なもので、

当時からSpotifyを利用していた僕は

速攻でサントラを見つけて聞きまくった。

勉強中や移動中のBGMにして

一日中聞いていましたね。

映画を見ていないのに劇中歌の歌詞を

暗記していました。

そのくらい好き。

 

公開したときはテスト期間だったので、

テストが終わってから見に行きました。

 

この時の体験はたぶん忘れないですね。

"the greatest show"で始まり、

胸が口から飛び出すくらい感動しましたね。

開始一秒目から、この映画を見られた

喜びを噛みしめましたね。

 

オープニングを飾る

”the greatest show”だけでなく、

劇中歌はすべてサントラとは違い

映画ならではのストーリーに沿った

アレンジがされていた。

 

楽曲としての音楽を

演出としての音楽に昇華して

映画全体の雰囲気を押し上げている

 

それを映画館の音響で聞ける幸せ。

 

ストーリーの話を全くしていないが、

これはストーリーに魅了される映画ではなくて

見世物(ショー)として完成した映画

でした。

 

レンタルで初めて見た

アイアンマンに感動した僕にとって、

映画館=レンタルより先に映画が見られる場所

だと思っていたんですよ。

 

映画館の魅力って

レンタルより早く映画を見ることが

できるってだけじゃ全く無くて

大画面の映像体験

ド迫力の音響

そして約120分の間

映画だけに集中できる空間

だと思うんですよね。

 

この『グレイテストショーマン』は

映画館が持つ魅力に気づかせてくれる

きっかけになれるめちゃくちゃ

いい映画なんですよね。

 

今からでも遅くはないので、

お近くのイオンシネマ徳島に

足を運んで映画館の持つ魅力に触れてみてくれ。

では。

10本目:ハーレクインの華麗なる覚醒 Birds of prey

 柔らかな日差しが体を包み

ほのかな温かさに頬を緩める。

時折吹く風は袖口から胸を撫で

身体を少し縮こませる。

涼しいというにはまだ冷たく

寒いというにはまだ暖かい風が吹く季節。

春である。

 

先ほどコーラを買いにスーパーに行った。

春の真ん中を散歩するのは

とてつもなく気持ちいい。

 

いや、スーパーに行くことは散歩ではないな。

散歩とは目的地を決めずに

フラフラと歩きまわることだ。

 

春の陽気の中を行先も決めず

誰にも邪魔されず

自由気ままに歩きまわるのは

さぞかし気持ちのいいことなんだろう。

 

そんな春の陽気にぴったりな

ゴキゲンな映画を紹介したいと思う。

 

どうも、僕です。

 

今日感想を書く映画は、

『ハーレイクインの華麗なる覚醒』

4年前のスーサイドスクワッドの続編?

もしくはスピンオフ。

 

スーサイドスクワッドを知らなくても

全く問題ない。

 

物語は

スーサイドスクワッドの後、

DCコミックを代表するヴィラン

ジョーカーと別れたハーレイクイン。

街中の誰もが恐れる

ジョーカーの庇護が無くなったことで

ハーレイへ恨みを返そうと

街中の悪党から狙われるようになる。

男に捨てられたハーレイが

一人の女として生きるために戦う話。

 

春休みにものすごくぴったりな

ゴキゲンな映画で、とにかく

ハーレイの軽薄さが至る所に

現れていて好き。

 

前半はハーレイの一人語りで

物語が進むんですが、

ハーレイが話したい部分から話すから

時系列がぐちゃぐちゃで人によっては

わけわからんくて混乱すると思う。

4分前の話をした後に

1週間前の話になり、

現在に話が向いたと思ったら

1日前にまた話が戻る。

そりゃ混乱するわ。

 

ハーレイの軽薄なノリに慣れてきたら、

今度はそのアクションに注目してほしい。

 

アクションシーンの監督は、

マトリックスでキアヌリーブスのスタントマンを

務め、同じくキアヌリーブス主演のアクション映画

ジョンウィックの監督を務めたスタエルスキ

が担当しているそうな。

 

ただジョンウィックのような泥臭アクション

ではなくて、とにかく派手で

「ありえへんやろ!」って突っ込みたくなる

でも気持ちのいいゴキゲンな戦闘シーンは

見ていて、かなりスッキリする。

最終決戦にローラーシューズを履いていく

ゴキゲンな頭のヒーローもヴィラン

マーベルにはいないだろう。

 

戦闘シーンでもどこまでもハーレイの

軽薄さが描かれていて

そこにも注目してほしい。

 

春の陽気で頭からっぽでも見れる

とにかくゴキゲンな作品。

 

ゴキゲンさの中に

ハーレイを中心に自分の力で自由に

生きようとする女性の力強さを

感じる作品でした。

 

これはハーレイが

誰にも邪魔されず

自由気ままに歩きまわれるように

なるまでのお話。

 

まぁとにかくゴキゲンだから

よかったら見てくれ。

 

コロナに気をつけてな。

 

では。

9本目:ミッドサマー

年末から日本を襲う中国からの刺客

彼らの活躍により、

僕らは寒々とした春を生きている。

 

どうも、僕です。

 

自宅から出るな

人ゴミに行くな

イベントは中止

テーマパーク閉鎖

 

自粛の二文字を見ない日はない。

僕らの冬はまだ明けていない。

しかし自粛は自粛。

守らなければ。

 

久しぶりに文章を書くと

意外と続きが出てこない。

これだから僕はダメなのだ。

分かっていても毎日続けられない。

もう少し投の間隔を短くしなくてはいけない。

 

せっかくの休みなのだ。

やりたいことをしよう。

 

去年までとは大きく違った形で進む日常を

好きなことをして過ごしてやろうじゃないか。

 

そうだ、

映画を見に行こう。

 

映画を見て感想を書こうではないか。

自分の表現の幅も深さも増やしてやろうではないか。

 

ちょうど見たい映画が溜まっていたのだ。

 

スキャンダル

FUKUSHIMA50

ハーレクイン

一度死んでみた

etc...

 

中でも『ミッドサマー』は期待度が高い。

 

この作品は

予告の映像を見ただけで痺れた。

これは2時間に凝縮した狂気だ。

ちょうどその時ホラーにハマっていた僕は

迷うことなく鑑賞を決意した。

 

 

来る3月13日ミッドサマーの公開日。

僕はイオンシネマ徳島の上映スケジュールを

眺めていた。

 

「あれ、ミッドサマーなくね?」

 

終わった。

僕の春休みは終了だ。

唯一楽しみにしていた映画が

徳島では公開されていない。

 

この悲しみは深い。

 

年始から見たくて堪らなかった映画を

映画館で見ることができない。

 

気が狂いそうだった。

 

いや、実際気が狂ったのだろう。

 

そうでなければ、あんなことするはずもない。

 

気づいたら僕は映画を見るために

 

愛媛にいた。

 

先に書いた自粛とは何なのだろうか。

どの口が自粛などと宣っているのだろうか。

 

愛媛まで行ってみたミッドサマーの感想を書くことで

懺悔とする。

許してくれ。

 

 

 

前置きが長くなったが、

ミッドサマーの感想。

 

なんだろう。

価値観の違う世界の常識を

2時間延々と押し付けられ、

精神をじりじりと焦がされるような

気持ち悪さが体を支配する。

しかし、

鑑賞後にどことない清々しさを

感じることができる、

狂気の映画。

 

あらゆる趣味のグロを見ることができますね。

 

映画はほとんどのシーンが

日の当たった昼間のシーンなんですが、

昼間のシーンが一番怖い。

 

暗闇が安心できるホラーなんて珍しいよね。

 

人体破壊

人類学(宗教?)

性描写(エロくない)

が大丈夫な人は見てみて

 

基本的にグロい。

中盤から最後にかけてはずっとグロい。

災厄の映画。

 

シーンの中にセックスのシーンが

あるんですよ。

男女ともに全裸なんですが、

そのシーンですらグロい。

どういうシーンなのかは

自分で見てほしいんですが、

僕はこの映画で一番グロイシーンは

セックスであることは断言しておこう。

 

あれは気持ち悪い。

 

ミッドサマーは『祝祭』をテーマに

9日間の儀式の様子が淡々と描かれる。

 

この祝祭は果たして誰にとっての

お祝いの祭りなのかを

考えながら見るとより楽しめると思います。

 

 

 

これは今日気づいたのですが、

徳島でも4月3日からイオンシネマ徳島で

上映するそうなので、

覚悟が決まった方から見に行ってください。

超おもろいから。

 

そして語り合いましょう。

 

では。

電球#233 味覚がなくなった話

今朝方のことだった。

今日は12時からバイトがあった。

普段ならバイトに行く前におなかを満たすために、

軽食を食べる。肉まんのように本当に簡単な軽食を。

しかし、今日は状況が違った。

泊まりに来ていた彼女が少し早起きをして

パンケーキを焼いてくれた。

焦げたもの1枚と綺麗な2枚だ。

1枚目は失敗したそうだった。

焦げてても腹に入ったら一緒だと思う。

残り物のロールキャベツも合わせて食べた。

軽食にしては重すぎるし、

昼ごはんというには軽かった。

 

まぁ何が言いたいかというと、

タイトルにもある通り、

味覚を失った。

 

原因はわかっている。

十中八九普段食べてるものが悪いんだろう。

近しい人はみんな知っていることだが、

僕は辛いものが大好きだ。

辛い物を評価させたら大学で5本の指には入ると思う。

そのくらい自信がある。

 

辛いものとは不思議なもので腹に溜まらない。

いくら食べても次々と欲しくなってしまう。

この辛い物の性質が僕の味覚を奪い去った。

 

昨日車で遠出をし、県内のレジャー施設で遊んでいた。

高速のサービスエリアとは魅力的なもので、

様々なお土産が売ってあった。

その中に明らかに徳島のお土産ではないものがあった。

ワサビ味のかきの種だった。

こいつが数時間後私の舌を殺すことになるとは

知る由もなかったのであった。

 

というわけでね、家に帰ってぼりぼりワサビ柿の種

食べてたら次の日味覚がなくなってましたね。

 

味覚のメカニズムを調べてみたんですけど、

舌には味蕾っていうツブツブがぎっしり詰まってて、

その一つ一つが味を感じる

センサーになってるんですよね。

その味蕾って割と簡単に死ぬらしく、

辛い物や、熱い飲み物、歯ブラシでごしごし擦る等で

破壊されるみたいです。

 

舌って、場所によって

味覚が違うみたいです。

僕は舌の先がワサビによって大量破壊されたので、

甘みを感じにくくなりましたね。

 

ケーキが甘くない。

生クリームを食べると、

感触と匂いで生クリームだとわかるんですが、

味が無いんですよ。

匂いがあるのに味が無いって奇妙な感覚で、

口に入れた瞬間口内から鼻に登る匂いが

鼻から口内に下る匂いと合流して、

次の瞬間波のように味を感じるようになる。

でも、味が無いってのは、

匂いで味を期待するのに、

待てども待てども味が来ない。

ずっとお預けされてる感じでもどかしいですね。

 

味蕾を戻すには亜鉛が必須なので、

亜鉛のサプリを積極的に取ってるんですが、

今日は治る気配がないですね。

 

明後日までに味覚が治らなかったら

病院に行こうと思います。

 

明日からは味のない世界を

書いていこうかな。

 

では。

電球#232 コンプレックス

 最近わからない日本語がある。

まぁわからない日本語はたくさんある、

僕は日本語マスターではないからな。

わからないまでもニュアンスで使っている

言葉があるだろう。

例えば、”ニュアンス”もよく考えれば人に説明できるほど

意味を知っているわけではないが、なんとなくで使えて

しまっている。

そんな言葉って身の回りにごまんとある。

みんなも心当たりがあるだろう。

その中で僕が全く分からないのが、”コンプレックス”だ。

 

コンプレックスという単語で連想するのは、

「あなたのコンプレックスは?」

「この低い鼻です。」

といったように、自分の身体の嫌いな部分を指す

イメージがある。

 

これだけなら話は簡単だ。

『コンプレックス=嫌いなところ、直したい部分』だ。

 

しかし、疑問は解決しない。

コンプレックスには代表的なもう一つの使い方がある。

 

母親のことが大好きな子供を何と呼ぶだろう。

そう、マザコンだ。

これは、マザーコンプレックスの略称であり、

日本人がめんどくさがりだとよくわかる。

 

このマザコンの意味でのコンプレックスは、

『コンプレックス=他人がひくほどに好き』

ととれる。

 

この代表的な二つの相反する意味はどちらが正しいのだろうか。

 

ネットでコンプレックスrと検索すると、

真っ先にモンストの攻略サイトが出てきた。

モンスト楽しいよね。

変な名前のキャラクターもいるんですね。

 

気を取り直して調べてみると、

コンプレックスとは心理学・精神医学用語らしいです。

様々な心理的構成要素が無意識に複雑に絡み合った観念の複合体

という説明が正しいらしい。

わけわからん。

簡単に言えば、

抑圧されながらも、無意識のうちに存在する、

行動に影響力を持つ心理。

らしい。

 

ふーむ。

つまり普段は我慢してるけれども、

確実に存在してる欲求ってこと?

 

なるほど、これなら理解できそう。

自分の鼻が嫌いだという欲求は

普段の生活では我慢するしかないもんね。

 

母親への愛着は確実に存在するけど、

普段は我慢してるもんね。

なるほど。

 

ちなみに日本では限定的な意味で使われることが

多いらしく、『劣等感』と理解されているらしい。

 

なんかちょっとすっきりしたわ。

 

みんなもよく知らずに使ってる言葉とかありますか。

 

実際に調べてみるといいかもね。

 

意味をきちんと理解していない

言葉を使う人は守るべき

芯が無いと思ってるよ。

 

じゃあの。

電球#231 矛盾の塔

私は、思えば鬱なのであろう。

これはやたらと他人に弱みを見せ

自分に気を引きたいだけの

無礼な者たちとは違うと思いたいのだが。

自分がそう言ったところで、

ここには私しか

いないのだからそれを判断できるのは

私ではない誰かであり、ついぞわからない。

 

久しい休日に、

購入した新書でも読もうと

意気込んで寝たはいいが、

起きてからも夢の中で

酒の抜けない体を引きずっては

夢幻の世界から頭を起すには至っていなかった。

ついには日も落ち始め、

今日という一日を無駄にしたことを

確認しつつもまだ夢幻をさまよっている。

 

思えば自分がやりたいと思ったことを

立派にやれた日はなく、

触りだけで今日は時間がないと諦め

埃を積み上げるだけの日々のようにも感じる。

 

気分が落ち込むときの自分はこうであり、

これが鬱ではないかと思う原因ではあるが、

先にも書いた通り、ここには私しかいない。

されども私が鬱だと思うのならば鬱なのだろうが。

それを判断できるのは私ではない。

これも謎のままである。

 

やろうやろうと思うことが

積み重なり、塔のように感じることがある。

その塔は遥か雲より上の頂点にある目から

私を見下ろし、私に要求するのである。

「今日は何をやるのだ」と。

私にはやりたいことをやるだけの

若さと時間と身分がある。

金はないが。

何を焦る必要があるのだろうか。

いいや、あるのだ。

積み上がった塔はいつも何をするでも

私を見下ろし、常に得も言えない

圧力を私にかけてくる。

その圧力の大きなことか。

気を抜けば圧力に手足を押さえつけられ、

右に左にと体を振られ、

ついには何もできなくなってしまう。

 

今日も塔が語り掛けてくる、

本を読むのではないか。

ゲームはしないのか?

文字を書かないのか?

借家の更新料の支払いはいつ終わるのだ?

読みかけの本から読めや

連絡しないといけないことはなかったか?

買い物にも行かなくてはいけない。

春に袖を通す服はまだ買わないのか。

いや、今ある服を捨ててからだろう。

ゴミの日を忘れないようにしないと。

段ボールはいつ捨てるんだ?

まとめるための麻ひもが用意できてからだ。

麻ひもはどこに売ってるんだ?

調べたことが無いからわからない。

早く調べろ。

WEB小説も読みたい。

買った本も読まなくては。

借りているマンガもあるだろう?

春休みに行く小旅行はどうなった?

クリアしてからほったらかしてるゲームは?

トロコンするのではないか?

映画の感想はまだ書かないのか?

バイトのシフトはどうする?

そんなことより研究室は?

TOEICの申し込みは?

 

やりたいこととやらなければいけないことが

混じり歪ながらにも高く伸びた塔だが、

不思議なことに夜の帳とともに降りてくる。

 

私の目線よりも低くなった塔は

とたん、「明日があるさ」と

私を慰め、立て直そうとする。

昼の高圧な態度とは真反対に、

私のそばに立ち理解を示すような、

上目遣いで味方であることを訴えてくる。

矛盾の塔は私が酒を飲むのを助け、

存在を忘れさせる。

夜の世界だけが僕を自由にする。

 

目が覚めるとそこには私よりも遥かに

大きく圧力を持った塔が待ち構えている。

そして私のつむじに向けて言うのだ。

「今日は何をやるのだ」と。

 

私にはわかるのだ、

この矛盾の塔が私を生かしているのだと。

 

やりたいことがあることは喜ばしく

挫折は心を殺す。

高く積みあがった塔は消化されることを望みつつも

心が折れたときにはともに消滅してしまうことを

知っている。

”やりたいこと”が”できないこと”だった時

私はどうするのだろうか。

 

諦めるのだろうか。

 

 

今日も自分の周りにやりたいを積み重ね

やれないことに価値を見出し、

やらないといけないことが自分を隠す。

 

そんな矛盾が私を取り巻く。

 

思えばこうやって字を書きだしたのも

何もしていない自分でも肯定したいと感じる

矛盾が始めたことなのだろう。

 

私は言ってしまえば字を書くこと以外は

何もしていないのだ。

何もしていない日々の締めくくりに

一日を思い返し筆を執ることで

何かしていたような気持になることを

味わいたかったのだろう。

 

僕の文は言い訳である。

 

世界への言い訳である。

何もなかった、何もやらなかった日の最後に、

僕はこれを書くために今日を生きましたと

世界に言い訳するための文章なのだ。

 

僕の右目側にある窓から世界が陰るのが見える。

部屋に入る太陽は少なくなり

ライトをつける羽目になる。

 

夜が始まる。

言い訳の夜が始まる。