電球換えたついでに始めたブログ

面倒くさがりな僕が1年ぶりに電球を替えたついでに始めたブログ。

電球#2 試験

ブログを始めたはいいものの何を書いたらいいか、わからないですね。

 

今日は雨が強かったですね。雨音はショパンの調べなんて言葉があるように雨音を聞きながら眠りにつくと朝はすっきり起きれるような気がします。

まぁ日中の雨は憂鬱で外に出たくないんですけどね

 

とは言っても日常は進むもので、今日は朝から試験があったんですよ。それも突破率3割切るような難しい試験が。

 

突然ですが人生って分岐点があると思うんですよ、進学や就職、転職、結婚。

そこには明らかに分岐点と分かるものや、一見そうじゃないように見えるものもある。

何が言いたいかって、この試験は明らかその分岐点だってこと。

 

みんなその試験に向けて、早ければ3ヶ月もかけて勉強するんですよ。

もはやただの定期試験じゃなくて進級試験や入試みたいな緊張感で、というのもその試験に合格しないと進級できないんですよ。

厳しい。

 

そんなもんだからみんな必死。

この分岐点でうまく進めば、何もない日常に戻れる。元のスクスク進学モード。

でも、もしうまく進めなければ、一年やり直し+イメージマイナスのペナルティ。

これはキツイ。

 

ただ、ここで僕が言いたいのは分岐点の進んだ先がどっちが幸せなのか?って話じゃなくて、

 

「進み方」

 

の話をしたいんですよ。

ここからの話は、試験は一旦置いて聞いて欲しいです。

 

目の前に迫る分岐点にどう進んで行くのか?

これって結構重要で、例えば進みたい方向があるとする。右か左なら「左」に行きたい。

そうなったときに「左」へ曲がるための努力、その過程。

簡潔に言えばこれが「進み方」だと思ってます。

 

例えば努力が実らなくて右に曲がったとしてもそれはそれでいいんです。

なぜなら進み方が大事だから。

進んできた道は自分の中に残ってるから。

そして、多分消えないしそれがこれから先の自分を支えて行くからなんです。

 

運命に流されるだけで自分で舵を取ろうともせず、右に左に無関心に流されるロボットよりも、思う結果にならなくても精一杯舵を握りしめて力を込める人間でありたいと僕は思うんですよ。

 

うまくいかないことがあったとしても、結果だけで落ち込むのは無価値だなって話でした。

でも、試験は受かりたいです。

 

ではまた